加後号について            

            ―Wikipedia等の資料から抜粋―

                (文責:牧野)


「加後号」とは

後一条天皇、後朱雀天皇とか歴代天皇の追号によく見られる「後〇〇」というのが、
「加後号」(かごごう)と呼ばれるものです。

@一般には、天皇が生前に暮らした御所の所在地が同一だった場合などに、
 地名の前に「後」を付けて追号を区別するために用いられました。

A他に、生前から、自ら理想としていた過去の天皇の名を自らの意思で命名する
 場合があります(例: 後白河天皇、後醍醐天皇)。

  後醍醐天皇はいわゆる延喜天暦の治即ち、藤原氏による摂関政治が主流の
  時代に天皇親政を行なった醍醐天皇の政治を理想としたため、
  自ら後醍醐天皇を名乗りました。

  後白河天皇も,長期にわたる院政を確立させた白河天皇の治世を慕い、
  リスペクトの念から後白河天皇と自ら名乗りました。

その他:


 加後号は後一条天皇より始まりますが、加後号は皇統が不安定な時期に多く
 現れます。
 この時期は円融系と冷泉系の二統鼎立が崩れる時期にあたります。
 三条天皇(冷泉系)から後一条天皇(円融系)への移行を最後に帝位は円融系
 が独占するようになります。 この時期に
4例の加後号が現れます。

  後白河・後鳥羽の時期は武家政権の勃興期にあたると同時に朝廷内の権力
 争いもあり即位の事情は複雑です。

 南北朝〜後南朝の前後には9例が集中しています。
  通常、諡号や追号は死後に決められますが、加後号の場合は本人の遺勅
 (遺言)によるものも多く見られます。
  中には後三条のように生前より名乗っていた例もあります。
  つまり皇統が不安定な時期の加後号には、先達を慕うだけではなく、
 自らの正統性を積極的に宣言する意図を見ることもできます。

                                              以上

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