「うつほ物語」の纏め    (2020.5.22 牧野記)

1.物語の構成

@縦の糸(俊蔭一族の秘琴伝授と弾琴による繁栄)

遣唐使の清原俊蔭は、唐に渡る途中、船が遭難し、波斯国(はしこく)に漂着してしまう。
波斯国の山中で天人や仙人から琴の秘技や秘曲を学び、阿修羅の守る木でつくった秘琴を
授かる。俊蔭は、23年を経て、やっと日本へ帰国することができた。
しかし、俊蔭は娘に秘琴と秘曲を授けると、清原家の再興を託して亡くなってしまう。

俊蔭の娘は、太政大臣の息子である藤原兼雅との間に、男の子をもうけるが、貧しさから北山
の森の中の木の空洞(うつほ)で、息子(藤原仲忠)を育て、秘琴を伝授する。
やがて、二人は藤原兼雅と再会し、兼雅は、うつほの中で育てられた仲忠を引き取り、仲忠は
貴族社会の若きリーダーの一員として活躍。琴の実力もあり、順調に昇進。あて宮求婚譚にも
組み入れられる。

あて宮は結局東宮に入内し、仲忠は女一の宮と結婚し二人の間には娘のいぬ宮が生まれる。
一方、仲忠の母である俊蔭の娘は、帝に琴を披露する機会があり、認められて、尚侍となる。

仲忠は祖先の霊が眠る京極邸跡に、屋敷と楼を造営し、母(俊蔭の娘)にいぬ宮への琴の
伝授を依頼する。
四季の移ろいと琴の音とが調和されつつ約一年、いぬ宮は琴の秘伝を習得した。
翌年の八月十五日秘琴伝授完了の日に右大将の仲忠は嵯峨院と朱雀院を京極邸の新居に
招いた。母(尚待)と共にいぬ宮も、琴の演奏を披露し、限りない感銘を与えた。
この日の禄として、亡き俊蔭に中納言の官が追贈され、母の尚侍には正二位が贈られる。
ここに、一族四代の秘琴伝授の物語は終結する。


A横の糸(源正頼一族の出世栄達の物語)

「昔、藤原の君と聞こゆる、一世の源氏おはしましけり」で始まる正頼一族の出世栄達の物語。
源正頼は時の帝の御妹(女一の宮)と時の太政大臣の娘(大いどのの上)を妻とし、二人
の妻との間に26人の子供に恵まれ、女一の宮が伝領した三条大宮で四町を占める「三条の院」
に皆一緒に住んでいる。
多くの男君を官職につけ女君たちも帝をはじめ上達部、親王たちに娶せ藤原の君正頼一族は、
貴族社会の中心で栄華を極めている。
時は流れ、宮中では、正頼の娘のあて宮の美貌が、大変な評判になっていた。
あて宮への求婚には、春宮(皇太子)をはじめ、嵯峨院のご落胤で琴の名手源涼、妻子を捨
ててのめり込む源実忠、実の兄でもある源仲純、三奇人(上野宮、三春高基、滋野真菅)、
俊蔭の盟友橘千蔭の子で出家した忠こそ。そして縦糸の主人公藤原仲忠もアプローチして、
求婚譚が語られる。
最後に仲忠と技量伯仲の源涼が、琴の秘技の勝負を繰りひろげたものの結局、あて宮は春宮
(皇太子)に入内してしまい、藤壺と呼ばれるようになる。
東宮が即位すると藤壺女御となったあて宮腹の皇子(源氏系)と藤原兼雅女の梨壺女御腹
の皇子(藤原氏系)との間に激しい立太子争いが起こるが,帝の意向により、藤壺(源氏系)
の勝利に終わる。

2.コメント(私見):

この物語は、縦横別の物語を無理に結び付けたような印象があり、縦糸に対し横糸が太すぎ
てアンバランスである。

縦糸の物語は、「竹取物語」の延長線上に考えられ、目もくらむ光、妙なる音曲とか、天人、
仙人、奇瑞等の伝奇小説の伝統が色濃く残っているが、
音楽の世界(琴の世界)で栄達する四代の物語は斬新と思われる。

横糸の物語は、当時の貴族社会の一面を語り「源氏物語」に多大な影響を与えたものと推察。
参考とされたと思われる点を列挙してみる。
   四町の三条の院の東南、東北、西南、西北の町。
   女主人公あて宮を廻る貴公子群。対し、男性の光源氏を廻る女性群
   天皇親政で帝、院の権限が絶大の時代背景
   横糸の話の一アイテム”立太子争い”は源氏物語では、意識的に避けた
   (道長への配慮?)
   この一環か宇治十帖で源氏の後継者は衰退の予感。藤原氏の世を暗示?
   等々
貴族社会の実態描写、時代背景を彷彿させる登場人物の選定なども参考になったと思われる。

                                          以上

   <付録>
 
   新築された京極邸の楼の図;  

   屋敷の南にある池中央の島を大きく盛り上げ、東西に一対の高楼を立てた。
   この楼とは屋敷の南端の釣殿から左右に長いそり橋で繋がれている。
   又、庭の南端からも短いそり橋で繋がれている。  


(中の島に建てられた一対の楼をつなぐそり橋)

(楼の景観)

     上図出典:新編 日本古典文学全集15・うつほ物語(3)

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